クラウドワークスを創業する以前、吉田浩一郎は13のベンチャーを立ち上げていたが、そのどれもが全くうまくいかなかった。今回、彼は、アントレプレナーシップの全く華々しくない一面を我々に垣間見せてくれるために、自身の苦い思い出を語ってくれた。

7年前、吉田浩一郎は自分の車を売り、全財産を処分して、自らのビジネス‧ベンチャーとして、フリーランサーたちのためのオンライン‧マーケットプレイスであるクラウドワークスを立ち上げた。今日、このベンチャーは日本最大級のクラウドソーシング‧プラットフォームの1つに成長しており、東証マザーズ(東京証券取引市場の一部門である新興企業向け市場)に名を連ねている。2011年の設立以来、クラウドワークスは224万人のフリーランサーと、トヨタ、ソフトバンク、ソニーを含む29万社以上のパートナー企業が委託する仕事を結びつけてきた。これは浩一郎の14番目のベンチャーであり、生き残って成功を収めている唯一のベンチャーでもある。

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Koichiro-Yoshida

クラウドワークス以前は、吉田浩一郎の名は成功とは結びついていなかった。勉強に興味を持てなかった彼は学校生活にうまく溶け込めなかった。いじめられっ子だった彼は、「計算された確実性の世界で生きようとするよりもむしろ」あまり人の行かない道に進もうと決めた。1999年、大学最後の年に、浩一郎は日本社会では反逆的な活動として非難されることの多いキャリア、すなわちアントレプレナーになる道を選び、彼の最初のビジネスである劇団を立ち上げた。

この夢はすぐに借金と失敗の物語へと転じた。「私が手がけた最初のプロジェクトは、ある演劇の上演を廃ビルで行うというものだった。しかしそのスぺ―スのレンタル契約が、私が契約条件を守れなかったために上演直前に解除された。私は6カ月かけて準備してきたすべてのものをキャンセルしなければならなかった」と浩一郎は語り始めた。スタートアップ人生を中断して、彼は会社社会に足を踏み入れ、日本の多国籍企業であるパイオニアで営業マンになり、その後、国際イベント主催会社のリードエグジビションジャパンで管理職を務めた。しかし依然として自分の会社を経営するという野望は消えなかった。「それは私が劇団を通して達成しえなかった夢だった。そして私は、こんなに成功したいのだから、もう一度挑戦できると考えた。」

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浩一郎の次のベンチャーはZOOEE Inc.,だった。これは彼が2007年末に立ち上げた経営コンサルティング会社で、この下で彼は13の事業をアントレプレナーとして立ち上げた。「私は思い違いをしていた。その分野でどんなに私が経験不足でも、成長している業界に自分が身を置く限り、なんとかしてうまくやりとげられるはずだと考えていたのだ」と彼は語る。「だから、ドバイで建設ラッシュがあれば、私はたとえドバイについて何も知らなくてもその機会に飛びついた。成長市場に自分がいるのだから自らのビジネスを軌道に乗せられると私は思っていた。同じ理由で私はベトナムで服を売ろうとし、上海でワインを流通させようとし、ほかにも多くのことをした。私は必死で自分のビジネスをうまくいかせようと切り盛りしたが、いつのまにか会社に残ったスタッフは自分一人だけになっていた。」

そんなとき、思わぬ展開がすべてを変えた。ZOOEE Inc.が2010年の大晦日につぶれた後、オフィスに一人いた浩一郎はかつての取引相手からのお歳暮を受け取った。これは彼に、自らのキャリアについて長く苦しい省察を促した。「最初に自分のビジネスを始めたとき、私はアントレプレナーシップは成功と富への近道と見ていた。このギフトは私に、目的を持った人生、人の役に立つ人生を生きることの大切さを思い出させてくれた」と彼は回想する。

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以来7年間、浩一郎は上記のことをクラウドワークスで実行すべく自分の時間を捧げてきた。2011年に立ち上げたクラウドワークスは、フレキシブルな働き方のための代替手段を、日本の伝統的な雇用制度から取り残されていた能力ある人々に提供するプラットフォームだ。「日本では、大学を卒業した女性が結婚を機に職を離れてしまうことがめずらしくない」と彼は言うが、この人たちは彼がターゲットとするクラウドワークスのユーザー群の1つである。もう1つのターゲットは、日本で増えている定年後の人たちである。「この人たちは一般に、法律で定められた定年である65歳に達したという理由で退職を強いられる。彼らの才能とノウハウは社会にとって著しく有益なのに、定年退職後に働く機会はひどく限られている。クラウドワークスはまさにそのギャップを埋めるためにある。」

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このようなギャップは日本の雇用市場で大きなシフトが起こるのと並行して広がる一方であることを、クラウドワークスは見てきた。長らく終身雇用と年功序列の賃金体系によって定義づけられてきた日本の雇用市場だが、今や、浩一郎によれば、労働力の45%以上がフルタイム雇用以外の働き方で働いている。そしてこのスタイルの働き方を活用する企業こそが、未来を先取りする企業なのだと彼は見ている。「不確実性の時代にあって、日本経済の情勢が相変わらずよくないときに、適応力のある企業が船をしっかりと操縦する企業になる」と彼は説明する。「アウトソーシングによって企業は市場の変化にフレキシブルに対応することができる。一例として、工場を持たない生産モデルという新興のトレンドがある。これは“ファブレス”生産としても知られるもので、企業が製造工程を海外の工場やロボット、AIテクノロジーにアウトソースすることだ。」 浩一郎は、フルスピードで進むデジタル化によって、ギグ‧エコノミー(インターネットを通じて単発の仕事を受発注する非正規労働によって成立する経済形態)の未来は明るいと予測する。「フリーランサーへのアウトソーシングは、高度なフレキシビリティーを財政面とオペレーション面の両方で享受したい企業にとって、次に採るべき主力ソリューションとなるだろう。」

この波に乗って、クラウドワークスは著しい成功を遂げており、上場後、最初の2年で1400万米ドル以上の資金を調達し、これまでに11億1500万円に相当するクライアント企業プロジェクトを提供している。「私はインターネットを使って日本でNo.1の雇用基盤を作り出したいと考えている」と浩一郎は自らのプランについて語る。「20世紀に最も多くの人々に報酬を与えたのはトヨタの雇用基盤だった。21世紀はクラウドワークスの番になるかもしれない。」

これまでの人生で 13 のベンチャー失敗を見てきた男にとってはまさに転換点だ。「アントレプレナーシップに関しては、正しい山を登るというようなことはない。なぜなら“正しい行動”は、急速に変化する世界では5分後に誤りになることもあるからだ」と自らの秘訣について彼は語る。「だから、敏捷になること。意思決定の点だけでなく、思考の点においても。認識された失敗についてくよくよ考える代わりに、その中に価値を探すこと。」 そしてその中に、浩一郎によれば、達成への道が敷かれている。「私の自尊心はとても長い間、とてつもなく低かった。今、43歳になって、私はようやく幸せな道を歩いていると言える。」

 

 

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